3度あったら強烈なサインという独自ルール
みなさん、こんにちは。さなはなです。
今回は、わたしが長年意識してきた「3度あったら強烈なサイン」というマイルールについて、実体験を交えてお話ししたいと思います。
3度目でサイン確定
サインとは何か
わたしが定義する「サイン」と呼ぶもので一番近いのが、「アルケミスト 夢を旅した少年/パウロ・コエーリョ著」で使われている「前兆(omens)」という表現です。
書籍「アルケミスト 夢を旅した少年」における「前兆」とは、主人公サンチャゴが夢を追い求める過程で重要な役割を果たす、宇宙や自然からのサインやヒントを指します。
この「前兆」は、彼が自分の運命を達成するために注意を払うべきものであり、導きや洞察を与えるものです。
物語の中では、砂漠の風景、動物の行動、偶然の出来事など、日常的な出来事の中に「前兆」が潜んでいることが多く、サンチャゴはそれらを解釈し、進むべき道を見つけていきます。
これらの前兆を読み取ることが、彼が内なる声や世界とのつながりを深め、目的地に向かうための鍵となっています。
つまり、「前兆」とは、主人公が夢を実現するために宇宙が示すサインであり、それに気づき、信じることがこの物語の重要なテーマになっています。
3度目とは
アルケミストでは前兆を1度目、2度目とはカウントしていませんが、わたしはこれまで独自の解釈でカウント方式にしていました。
1度起きたことは偶然。2度起きれば奇跡。3度起きれば確定。
「おいおい、あんた宇宙を全然信用してないやないか」と言われそうです。
現に「いい加減気づけと言ってやってくれ」と数人の霊能力者やサイキッカーに代弁してもらった経験があります(笑)
こうやって言語化しアウトプットしているのは、「もう宇宙に手間はかけさせませんのでよろしく!」というわたしなりの意思表明だったりします。
菅原道真公とのご縁
産土様の御祭神 -菅原道真公-
わたしの産土様である神社には、菅原道真公とその乳母の御霊が祭られているとされています。地元に住んでいた頃はそんなことも露しらず、スピリチュアルな勉強を重ねる中で数年前に知ったばかり。
菅原道真と言えば「学問の神」で「日本三大怨霊」のひとり、高校受験の際に福岡の太宰府天満宮に家族旅行でお参りしたくらいの知識と記憶しかありませんでした。
平安時代の学者であり、政治家としても高い地位にありましたが、彼は藤原氏の陰謀によって、無実の罪で九州の太宰府に左遷され、その地で無念のうちに亡くなります。
怨霊と言われる所以は、彼の死後に起こった一連の不幸や災害を、道真公の怨霊の仕業だと言われたから。どれほどの無念と恨みがあったのかは、本人しかわからないことです。
当時東京で精神的に疲れ切っていたわたしは、なぜか妙にシンパシーを感じるところがあり、「今度道真公が祭られている神社にでも行ってみよっかな」程度に思っていました。
道真公誕生の地「菅原天満宮」
ちょうどその頃、会社の旅行で島根県の玉造温泉に訪れる機会がありました。
「神々が集う國しまね」ですから、どこかに道真公が祭られた神社があるはずと自由行動の計画を立てるわたし。
「菅原道真 神社 松江」で検索してヒットしたのが、なんとなんと、道真公の生誕の地との言い伝えに基づき建立された神社とのこと。しかも、その神社。宿泊先から車で10分程度の場所にあるじゃありませんか。
ちょっと鳥肌たちましたね、正直。
だって、道真公との縁を知ってからまだ1ヵ月もたっていませんでしたから。
もちろん、すぐにお参りさせていただきました。
ここまでだと2度起きれば奇跡止まり。
もちろん、3度目があるからこの話を書いているわけです。
悲鳴をあげるわたしの体
3度目のサインとなる道真公とのご縁の前に、当時のわたしがどういう状況だったのかを説明しておきます。
これまでの積もり積もった違和感が、度重なる覚醒の連続で爆発寸前まで来ていました。
ほったらかしにしてきたネガティブな思考が潜在意識に溜まり、いよいよ「病気」として現実化したのです。
健康診断で例年指摘があった心臓に「要精密検査」の結果が。
検診センターのドクターにその場で紹介状を書かれ、すぐに専門医の診断を受けた結果は「心房粗動」でした。要は不整脈です。
母はペースメーカー入っていますし父も病歴があったようですから、遺伝なんでしょうけど、このタイミングで出ますかね。
特に自覚症状はありませんでした。
多少の息切れはしますが、階段も難なく登れますし、何なら激しいスポーツ(バスケ)をガチ目に月に2~3回はやっていました。
誤診では?と疑いましたが、れっきとした「粗動」具合はエコー画像でしっかりこの目で確認できました。
わたしの心臓ちゃん…負担かけてごめんね(泣)
不規則に脈打つ健気な心臓ちゃんへの愛おしさあまって、エコ―画面を一緒にみて説明してくださっていたドクターに、
「これも個性ってことですね」とコメントしたら、
「いや、病気です」と真面目に返されました(笑)
できれば若いうちに手術をとドクターはすすめてきます。
今すぐにどうこうはさておき、わたしにとってはこれ以上とない「強制終了」のお知らせでした。
もうこれ以上、自分の心にウソをついて生きていくのはやめなさい。
そう言われている気がしたのです。
上目黒 氷川神社
ドクターに手術をすすめられた帰り道、いつも通勤途中で気になりつつも一度もご挨拶に伺ったことがなかった神社にお参りすることにしました。
そこでいただいたお言葉に従おうと思ってのことです。
都内には合計10年以上住み、何度も目の前を通っていたにも関わらず初参拝となったこちらの神社。
御祭神は素戔嗚命、天照大御神、菅原道真
3度目は確定。
もう説明はいりません。そう、確定なんです。
2度目のサインは2023年12月、この3度目が2024年2月。
師匠(わたしが25年近く師事した潜在意識の先生であり、前職の会社の社長でもある)に、師匠の勉強会を卒業したいという意思を伝えたのが2024年1月。
そこから魔女狩りが始まり、心臓が悲鳴を上げ、このサインをいただき退職を決意をしたのがこの直後でした。
「病は回復。心配無用。新たな旅立ちを全面的にバックアップする。サインは寝かせず、すぐに受け取るように。」
いただいたこのお言葉に従って。
卵が先か鶏が先か
どんな思考が溜まっていたのか
この一連のサインは、わたしの思考の現実化により起きたことです。不整脈も道真公も、それをきっかけに訪れた退職も。
今、わたしが感じているのは、思考との向き合い方を知る前と知る後で、これらの意味合いがかなり変わってくるということです。
当時の解釈
当時のわたしは、思考の仕組みと扱い方を知る前だったので、こうなったのは師匠のせい。会社のせい。
だって、もっと自由になりたかったのに、ずっと本当のことを言えずに我慢させられてたんだから。
という完全に被害者意識で他責思考でした。
そりゃ、病気にもなりますよね。
自分の思考と向き合わず、現実逃避するための最高の言い分けが「病気」です。
これなら自他ともに、「じゃあ、仕方ないよね」と認めざるを得ない事象ですから。
ただ、わたしは病気になったことを最後まで会社には言いませんでした。
言ってしまうと、その「言い分け」が確定してしまうと無意識で思っていたんでしょうね。
「三大怨霊」というシンパシー
病気だけならまだしも、ひいては道真公とのご縁を、自分が魔女狩りにあっているからという理由で、三大怨霊の方にシンパシーを感じるという始末。
もうギャグですね、完全に。笑かしにかかってます。
最高のネタを提供してくれてますね、当時のわたしは。
これも師匠から、
「君は黒魔術を使えるようになってしまったんだよ」
「それでみんなが困惑して迷惑している」
と言われたことで現実化しました(汗)
今の解釈
思考の仕組みを知り、自分の思考の扱い方がわかってきた今、道真公のお言葉がすべてを語ってくれています。
わたしの根底にある依存心が、師匠という存在を作り出しました。
己の人生を全うするとは「自立」することです。
自分の人生は自分が責任をもって生きるためにあります。
誰かが代わりに生きることなどできないのです。
師匠と過ごした25年という歳月も必要な時間だったと今は感謝しかありません。
師匠にはお返ししなければならない御恩がたくさんあります。その御恩に報いるかどうかは、今後のわたしの思考で決まります。
師匠という存在は今、それが現実化するワクワク要素としてわたしの中にあり続けています。
人として学ぶことを辞めたらそこで試合終了。
そんなわたしへの教訓としてサインとなり現れて下さったのが道真公だと解釈しています。
だって、「学問の神様」ですから。
最後まで読んでいただきありがとうございます!!!!

